「言い訳をしない」と決めた日から。元ボクサーの中村先生が訪問現場に立つ理由
INTERVIEW
- 浅草オレンジマッサージ治療院 -
- 「言い訳をしない」と決めた日から。元ボクサーの中村先生が訪問現場に立つ理由
PROFILE
浅草オレンジマッサージ治療院
院長 中村 吉宏 (なかむら よしひろ)
あん摩マッサージ指圧師
- 所在地 東京都台東区浅草3-1-1 馬道妙見屋ビル3F
- 対応エリア 台東区・墨田区・荒川区を中心に対応。その他の地域もご相談ください。
- 受付時間 10:00〜20:30
大阪府出身。高校時代からボクシングに打ち込み、18歳で上京。選手生活の中で腰を痛め、鍼治療を受けた経験から、人の身体をケアする仕事に興味を持つ。リラクゼーション業界で経験を積む中、より専門的な知識と技術を身につけたいと考え、長生学園に入学。働きながら学び、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得する。
その後、指圧マッサージ治療院で経験を重ね、2007年に30歳で「浅草オレンジマッサージ治療院」を開業。現在は台東区を中心に、墨田区・荒川区などへの訪問マッサージにも力を入れている。「言い訳をしない」という信条のもと、スタッフとともに技術や知識を磨きながら、患者様一人ひとりのお身体の状態やお気持ちに寄り添った施術を大切にしている。
目次
INDEX
- 01. 大阪育ち、ボクシングに打ち込んだ高校時代
- 02. 「4年間だけ、好きにさせてほしい」
- 03. 国家資格の存在すら知らなかった青年が、面接で勝ち取った最初の職場
- 04. 先輩から教わった2つの教訓:「キレない」「言い訳をしない」
- 05. 「マッサージのようなこと」ではなく「あん摩マッサージ指圧師」と名乗るために
- 06. 指名数で実力を測る。30歳の開業に向けた修業時代
- 07. 30歳、浅草で開業。開業の日に入籍も!
- 08. 休止していた訪問マッサージに、もう一度本気で向き合う理由
- 09. 通院と訪問はまったく違う。高齢の方への施術で大切にしていること
- 10. 「ご本人の気持ちが変わる瞬間」を支えたい
- 11. 6名のスタッフとつくる、前向きなチーム
- 12. 訪問マッサージを受けるまでの流れ
- 13. 言い訳をしない治療家が、訪問の現場で大切にしていること
- 14. 訪問マッサージを迷っている方、ご家族の方へ
東京・浅草で長年にたり、地域の方々の体と向き合ってきたあん摩マッサージ指圧師がいます。浅草オレンジマッサージ治療院の院長、中村吉宏先生です。現在はスタッフとともに、台東区を中心に、ご自宅で施術を受ける方への訪問にも力を注いでいます。
中村先生の原点は、ボクシングのリングにあります。
そして治療家としての歩みを語るとき、先生は何度もひとつの言葉に立ち返りました。
「言い訳をしない」
20代の初めに先輩から教わったこの言葉は、開業から年月が経った今も、先生の仕事を支える軸になっています。
ご自宅に施術者を迎えるのは、ご本人にとってもご家族にとっても、勇気のいることです。
この記事が「どんな人が来てくれるのか」を知る手がかりになればと思い、ボクシングに打ち込んだ青春時代から、国家資格の取得、浅草での開業、そして一度は手を引いた訪問マッサージに再び本気で向き合うようになった理由まで、じっくりとお話を伺いました。
大阪育ち、ボクシングに打ち込んだ高校時代
中村先生は大阪で育ちました。3人兄弟の真ん中で、兄と妹に挟まれた次男です。
それまで、何かひとつの運動が長く続いたことはなかったといいます。転機は高校1年生のときでした。
「ちょうど『スラムダンク』がすごく流行っていた時期で、僕もバスケ部に入ったんです。でも、部活という環境にどうしても馴染めなくて」
そんなとき、友人から「ボクシングをやってみないか」と誘われます。学校の部活ではなく、街のボクシングジムでした。それまで運動が続いた試しがなかった少年が、ここで初めて夢中になれるものに出会います。
階級はフェザー級。人気ボクシング漫画「はじめの一歩」の主人公と同じ階級です。「最初は痩せていたんですけど、続けるうちに筋肉がついてきて」と振り返ります。
ただ、部活ではなくジムでの活動だったため、アマチュアの大会には出場しにくい環境でした。高校の新人戦には出られたものの、インターハイを目指そうとすると、学校の顧問の先生が付き添わなければならないという壁にぶつかります。結果として、アマチュアで戦えたのは3試合だけでした。
それでも、ボクシングへの思いは消えませんでした。高校を卒業した中村先生は、ボクシングを続けるために上京を決めます。18歳のときのことでした。
「4年間だけ、好きにさせてほしい」
上京にあたって、中村先生はご両親とひとつの約束を交わしています。
「同級生が大学に4年間通うのと同じように、4年間だけ自分のやりたいことをやらせてほしい。それで芽が出なかったら、すぐに就職します、と」
アルバイトで生計を立てながら、ジムに通う日々が始まりました。けれど、その生活の中で中村先生は腰を痛めてしまいます。
手を差し伸べてくれたのは、アルバイト先の上司でした。中村先生がボクシングに打ち込んでいることを気に入ってくれていたその方が、こう言ってくれたそうです。
「すごくいい鍼の先生がいるから、治療代は出してやる。行ってこい」
勧められるままに受けた鍼で、腰はずいぶん楽になりました。
「それがきっかけで、今のこの仕事に興味を持ったんです」
約束の4年間を終えたとき、中村先生はボクシングにひと区切りをつけました。
「腰の痛みもありましたし、そもそも大した才能もなかったので」
そう振り返る先生ですが、この4年間は決して無駄ではありませんでした。自分の体で痛みを知り、人の手で楽になる経験をしたこと。それが、治療家としての最初の一歩につながっていきます。
国家資格の存在すら知らなかった青年が、面接で勝ち取った最初の職場
ボクシングを離れ、これからの仕事を考えたとき、中村先生には「これがやりたい」と言える職業がありませんでした。そこで手に取ったのが、資格や習い事の情報誌です。
「当時はリラクゼーションや整体のスクールがたくさん載っていて。実は、国家資格というものがあることすら知らなかったんです」
中村先生が選んだのは、1年間で卒業できるリラクゼーションのスクールでした。独立開業のハードルが低いことに加え、人に喜んでもらえる仕事だという点に惹かれたといいます。
スクールは、9か月間学んだあと、最後の3か月は提携先の店舗でインターンとして働く仕組みでした。ところが、このインターン期間は無報酬です。ひとり暮らしの中村先生にとって、3か月間収入がないのは死活問題でした。
「これでは生活できないと思って、インターンはお断りして、自分で就職先を探したんです」
時代は就職氷河期の真っただ中。数人の募集枠に何十人もの応募者が集まるのが当たり前で、中村先生もいくつもの面接に落ちました。そんな中で挑んだのが、全国の温浴施設にセラピストを派遣する大手企業、リバース東京でした。
「ここはどうしても受かりたかったので、履歴書をびっちり書いて、スーツを着て、面接官の部長の目を一瞬もそらさずに話しました」
その熱意が伝わり、中村先生は採用されます。配属先は、東京の神田にあった直営のサロン。当時、男性スタッフが働ける直営店はここ1軒だけでした。
実はこのサロンには、売上の立て直しのために、温浴施設でリピート率ナンバーワンと言われていた男性セラピストが3か月前に配属されていました。他のスタッフはすべて女性で、その先輩から「男性をひとりでいいから、できそうなやつを入れてほしい」という要望が出ていたのです。
「僕はまったく『できるやつ』ではなかったんですけど、面接であまりにきっちりしていたから、できそうだと勘違いされたんでしょうね」
神田のサロンでも、その先輩を前に「自分は決めたことはやり通します」と熱く語り、採用が決まりました。
先輩から教わった2つの教訓:「キレない」「言い訳をしない」
その先輩は、中村先生より3つ年上でした。キャリアは長くないのに、ベテランの施術者をあっさりと追い抜いてしまうほどの腕前で、施術も接客も抜群だったといいます。
「最初はとにかく、がむしゃらに真似をしました」
その先輩とは、今でもお付き合いが続いているそうです。もちろん技術面でも多くを学びましたが、中村先生の心に最も深く刻まれているのは、技術以外の2つの教えでした。
ひとつめの教え:キレない
当時の自分について、中村先生はこう振り返ります。
「若かったこともあって、気に入らないことがあると、年上の人にも言い返してしまうところがあったんです。今思うと本当に幼稚で、情けないんですけど」
ある忙しい日、中村先生は些細なことで先輩に言い返してしまいます。お店の中なので大きな声は出せません。ふてくされたまま次のお客様の施術に入ろうとした中村先生を先輩が止めようとしましたが、すでにお客様の前に出てしまったあとでした。
「さすがにお客様の前でふてくされた態度を見せてはいけないと思って、『お待たせしました』と、何事もなかったように施術しました」
お客様が帰ったあと、空手の経験もある武闘派の先輩は、意外にも「さっきはごめんね。でも、あの態度は良くないよ」と、感情的にならず、筋道を立てて諭してくれました。そして、こう付け加えたそうです。
「あと一歩遅くて、お客様の前に出る前だったら、もうそこで終わりにしていたよ」
首の皮一枚でつながったこの出来事で、中村先生は、社会人としてキレるような態度を取ってはいけないということを、身をもって学びました。
ふたつめの教え:言い訳をしない
もうひとつの教えは、入社から3か月ほど経った頃のことです。
カリスマ的な先輩には当然のように指名が集まり、若い女性スタッフたちにもそれなりに指名がついていきます。一方、中村先生にはなかなか指名がつきません。そんな頃、中村先生は先輩にこぼしてしまいました。
「先輩は上手だから指名がつくし、ほかのスタッフは女性だから指名がつくじゃないですか。場所も良くないし、難しいお客様も多いし……と、言い訳をつらつら並べていたんです」
先輩の答えは、短く、鋭いものでした。
「場所が悪い、客層が悪い、ほかは女の子だ。全部言い訳でしょ。言い訳するやつは伸びないよ」
「本当に、ガーンとなりました。でも、確かにその通りだなと」
キレないこと。言い訳をしないこと。
「もちろん、その後も言い訳をしたくなる場面はたくさんありました。でも、なるべくそうしないようにやってきたことが、その後の自分にとってすごく良かったと思っています。技術以上に、そこが大きかったですね」
ちなみに中村先生は、その後このお店の店長を任されるまでになります。そして、後輩として入ってきた女性スタッフが、のちに人生をともに歩む奥様となりました。
「マッサージのようなこと」ではなく「あん摩マッサージ指圧師」と名乗るために
リラクゼーションの現場で経験を積むうちに、中村先生の中にはひとつの葛藤が生まれていました。
「お客様から、体のことを質問されるんです。でも、専門的な知識がないから、どうしても怪しい答えになってしまう。それがものすごく心苦しかったんです」
そしてもうひとつ、将来を考えたときの思いもありました。
「一生この仕事をやっていくと考えたとき、『お仕事は何をされていますか』と聞かれて、『マッサージのようなことをしています』と答えるのか、『あん摩マッサージ指圧師です』と答えられるのか。ここはまったく違うと思ったんです」
ごまかしのきかない専門職になる。そう決めた中村先生は、勤め始めて2年が経った頃、国家資格を取るための学校に入学します。
選んだのは長生学園でした。体の構造に働きかける手技を学びたいという思いがあり、長生学園ではそうした技術を学べること、資格を持つ先輩から「いい学校だよ」と勧められたことが決め手になりました。
授業は朝9時から12時まで。これに合わせて、勤務先を浅草の温浴施設に変えてもらいました。まつり湯には14時から22時までのシフトがあったからです。
「朝9時から12時まで学校で勉強して、14時から22時まで働く、という生活でした」
当時住んでいたのは千葉県の松戸市。学校までは電車で1時間以上かかります。朝7時に起きて学校へ行き、夜まで働いて帰宅すると、寝るのは深夜1時を過ぎることも珍しくありませんでした。
それでも、勉強そのものは苦にならなかったといいます。
「体のことを聞かれて答えられない悔しさを、2年間味わっていましたから。解剖学や生理学を学べるのが、純粋に嬉しかったんです。通学の電車の中でも、解剖学のテキストをよく開いていました」
とはいえ、体は正直でした。1年生の2学期に入った頃、中村先生は体調を崩してしまいます。
「体力には自信があったんですけど、やっぱり体は参っていたんだなと思います」
それでも学業を投げ出すことはなく、3年間を修了。国家試験にも問題なく合格しました。卒業後も2年間、週に1〜2回、学校の臨床実習に通い続けています。当時の先生方や、長生学園の先輩とのつながりは今も続いており、その縁が、のちに大きな転機をもたらすことになります。
指名数で実力を測る。30歳の開業に向けた修業時代
国家資格を取得した中村先生は、長く勤めた職場を退職します。心の中には、「30歳までに開業する」という目標がありました。
開業前の修業先として選んだのは、東京都板橋区・大山にある指圧マッサージの治療院です。選んだ理由は明確でした。国家資格を持つ人だけが働く職場で、自分の実力がどこまで通用するかを確かめたかったのです。
中村先生は、自分に明確な基準を課しました。それは「指名数」です。
「『中村先生にお願いします』と言ってくださる方がどれだけいるか。1年勤めてこの数字を達成できれば、開業しても食べていけるだろう、という目標を自分の中で決めていました」
職場は、最低保証のある歩合制でした。ここでも、先生には自分なりの考え方がありました。
「最初の半年は、職場の集客の問題や環境の問題もあると思います。でも、半年を過ぎても保証給をもらっているようでは、それは自分の実力が足りないということだろうと。自分の力でお客様を増やしていけないようでは、この先もやっていけないと思っていました」
環境のせいにしない。数字から逃げない。かつて先輩から教わった「言い訳をしない」という姿勢が、ここでもはっきりと表れています。
約1年半の修業で、中村先生は自らに課した目標をクリアしました。
30歳、浅草で開業。開業の日に入籍も!
2007年11月、30歳。予定どおり、中村先生は浅草オレンジマッサージ治療院を開業します。場所は浅草。学生時代の3年間、温浴施設で働きながら通った街です。そして開業のその日に、奥様と入籍しました。
当初は、ベッド2台の小さなお店を基本的にひとりで切り盛りし、忙しいときに奥様が手伝う形を想定していました。ところが開業準備の最中に、学校の同級生から「一緒に働かせてほしい」と声がかかります。
「いずれはスタッフを雇いたいと思っていたので、せっかくだから最初からやってみようと」
こうして、スタッフを1名迎えての船出となりました。
見つけた物件は、浅草公会堂の近く。立地の良さに加えて、大家さんとのご縁にも恵まれました。浅草に古くから根付く方で、若い夫婦を温かく迎え入れ、「マッサージのお店に入ってほしいと思っていたら、来てくれた」と喜んでくれたそうです。
「大家さんには、お店を閉じた今でもよくしていただいています。開業当初は、たくさんのお客様を紹介してくださいました」
大家さんからの紹介、開業前からご縁のあったお客様からの紹介、新聞の折り込みチラシ、そしてかつての職場の仲間たち。さまざまな人の支えが重なり、治療院は開業直後から地域に受け入れられていきました。
それから19年。2012年4月には2店舗目となる馬道店を開き、長年営んだ浅草公会堂近くのオレンジ通り店は、馬道店に統合しました。現在は馬道交差点の角にある馬道店を拠点に、6名のスタッフとともに歩みを続けています。
「関わる人も増えてきましたし、スタッフの待遇ももっと良くしてあげたい。まだまだ十分ではないので、もっと頑張らないといけないと思っています」
開業して年月が経っても、現状に満足しない。その姿勢もまた、中村先生らしさなのでしょう。
休止していた訪問マッサージに、もう一度本気で向き合う理由
実は、中村先生が訪問マッサージに取り組んだのは、開業2年目でした。
開業から2年ほど経った頃、訪問に関心を持ち始めたスタッフの後押しもあり、一度は訪問事業を立ち上げていました。
「でも、当時の自分は、人から聞いた情報くらいでスタートしてしまっていて。通院の施術をしながら訪問もやる、という中途半端な形だったんです」
結局、スタッフの退職をきっかけに、訪問の拡大はいったん見送ることにしました。その後約10年間、中村先生は通院の治療院に力を注いでいきます。
再び訪問に向き合うきっかけとなったのは、地元・台東区のマッサージ師会でした。15年ほど「幽霊会員」だったという中村先生のもとに、新しく班長になった方が挨拶にやってきます。その方は、長生学園の1期上の先輩でした。
「前から『飲みに行こう』と誘われていたのに、僕はこもりがちな性格なので、すっかり忘れていて。『全然飲みに行ってくれないじゃないですか』と言われてしまって」
ようやく実現したその席で、先輩が訪問マッサージの仕組みづくりに裏方として尽力している話を聞き、中村先生は強い衝撃を受けたといいます。
「この人は、こんなに裏で考えて、動いているのかと。自分みたいに穴熊のようにこもっていてはいけない、と思ったんです」
当時は1〜2人まで減っていた訪問の患者様は、今では自分一人では対応できずスタッフにお願いするくらいまでの患者様数になりました。
それでも、中村先生は現状に甘んじてはいません。
「まだまだ手が回り切っていない部分があります。言い訳はしちゃいけないので、そこはもう一段深く、やり方を見直しているところです」
うまくいかない理由を外に探すのではなく、自分たちのやり方を問い直す。20代で先輩から学んだ教えは、経営者となった今も、先生の判断の物差しであり続けています。
治療院を運営する真十色株式会社は、経営理念に次の言葉を掲げています。
未知を恐れず 道を拓き 歩き続ける
人は変化を避け、現状維持を選んでしまいがちです。それでも新しい技術を身につけたいなら、学び、実践し続けるしかない。そう動き続ける組織でありたいという思いが込められています。一度は手を引いた訪問に、もう一度本気で向き合う姿は、この理念そのものと言えるでしょう。
通院と訪問はまったく違う。高齢の方への施術で大切にしていること
現在、訪問の現場には主にスタッフが伺っています。中村先生ご自身が訪問に出るのは、もともと通院で長く担当していた方が、体が弱くなって通えなくなった場合です。
通院と訪問、両方の現場を知る中村先生は、その違いをはっきりと言葉にします。
「若くて元気な方ならいい反応が出る施術でも、ご高齢の方には強すぎることがあります。過ぎたるは及ばざるがごとし、で、むしろ軽く行ったほうがいい反応が出ることもある。何かしらの疾患をお持ちの方も多いですから、通院の方と同じやり方をしていればいい、ということはまったくないんです」
違いは施術だけではありません。
「ご家族のニーズと、ご本人のニーズが違うこともよくあります。そういうときに、両方のお気持ちに応えたり、きちんと説明したりする力も求められるんです」
ご家族が「もっとこうしてほしい」と思っていても、ご本人の思いは違うかもしれない。その間に立って、どちらの気持ちも受け止める。訪問の施術者には、体を診る力と同じくらい、人の話を聴く力が求められます。
「高齢だから」「疾患があるから」を理由にあきらめるのではなく、目の前の方に合った関わり方を探し続ける。ここにも、言い訳をしない治療家の姿勢がにじみます。
そして、訪問ならではのやりがいについて、中村先生はこう語ってくれました。
「訪問でお伺いする方は、人との関わりが少なくなっていることも多いんです。僕たちが伺うことで喜んでいただける。そこは、通院の患者様とはまた違う部分だと感じています」
「ご本人の気持ちが変わる瞬間」を支えたい
中村先生が施術で大切にしているのは、体へのアプローチだけではありません。長年多くの患者様と向き合う中で、先生は「ご本人の気持ち」が持つ力を実感してきました。
「ご本人の意識が変わると、取り組み方がまったく変わるんです。ご自身でできる体操をお伝えすると、真面目に全部やってくださる方もいる。患者様から学ばせてもらったことは、本当に大きいです」
体が思うように動かなくなったとき、気持ちが沈んでしまうのは自然なことです。だからこそ中村先生は、施術の時間を、ご本人がもう一度前を向くきっかけにしたいと考えています。
「ご本人の意識を前に向けてもらうことも、すごく大事だと思っています」
気持ちが沈んでいる方には、ご本人の了承を得たうえで、かつて同じように悩みながら前を向いた患者様の話をすることもあるそうです。中村先生には、20年近くにわたって担当し続けている患者様もいます。取材の日も、このあと施術の予定が入っていました。
ご自身でできることを一緒に探し、続けられるように寄り添う。それは、環境や状況のせいにせず、自分にできることに目を向けてきた、先生自身の歩みとも重なっています。
6名のスタッフとつくる、前向きなチーム
現在、中村先生のもとでは6名のスタッフが働いています。施術者は、いずれもあん摩マッサージ指圧師の資格者です。長く勤めているスタッフが多く、中には10年以上勤続しているスタッフもいます。
チームの技術を支えているのが、毎月第3月曜日に開いている勉強会です。実技が中心で、部位ごとにテーマを決め、8か月で全身をひと通り学ぶ構成になっています。訪問施術に欠かせない日常動作への配慮や声かけの仕方、施術時の注意点も取り上げています。基本はスタッフ向けの研修で、あん摩マッサージ指圧師の資格を持つ外部の方や学生も参加できます。
ベテランのスタッフには、教える側・アドバイスする側に回ってもらうこともあります。
「人に伝えることで伸びるものもあると思うので」
職場の雰囲気について尋ねると、中村先生はこう答えてくれました。
「スタッフにどう思われているかは分かりませんけど(笑)、みんな性格がいいんですよ。ネガティブに物事を捉えないというか。バカ話をしながら、気楽にやれています。今が一番いいところにいるんじゃないかな、と思います」
前向きに、どうすれば良くなるかを一緒に考えられること。それでいて、互いに干渉しすぎないこと。そのバランスを大切にしながら、学びたい人が学べる環境を整えていきたい。先生が語るチームの姿は、「言い訳をせず、前を向く」という自身の信条を、チーム全体で共有しているようにも見えました。
ご自宅に伺うのは、こうした勉強会で学び合っているスタッフたちです。
訪問マッサージを受けるまでの流れ
浅草オレンジマッサージ治療院の訪問は、台東区・墨田区・荒川区が中心です。そのほかの地域も、場所によっては対応できる場合があります。
訪問マッサージは、誰でも自動的に医療保険の対象になるわけではありません。医療保険を使う場合は、医師の同意が必要です。「自分の場合は保険が使えるのか分からない」という段階でも、相談から始められます。
利用までの流れは次のとおりです。
- お問い合わせ:電話または問い合わせフォームから相談します。
- ご説明・状態の確認:現在の体の状態や生活の様子、ご希望を伺います。
- 医師への同意の依頼:医療保険を使う場合に必要な手続きを案内してもらえます。
- 訪問施術の開始:日程を調整し、ご自宅または施設へ伺います。
ご本人とご家族の希望が違う場合も、まずはそのまま伝えてみてください。両方の気持ちを受け止めることも訪問の大切な仕事だと、中村先生は話しています。
言い訳をしない治療家が、訪問の現場で大切にしていること
中村先生は、ボクシングで痛めた腰を、一本の鍼に救われた青年。国家資格の存在すら知らないところから、「あん摩マッサージ指圧師です」と胸を張って名乗れる専門職になり、浅草の街で19年、地域の方々の体と向き合ってきました。
その歩みを貫いてきたのは、20代の初めに先輩から教わった「言い訳をしない」という姿勢です。
場所や環境のせいにせず、指名数という厳しい物差しで自分を測ったこと。一度はうまくいかなかった訪問マッサージに、もう一度本気で向き合っていること。「高齢だから」「疾患があるから」ではなく、目の前の方に合った施術を探し続けていること。そして、ご本人が前を向ける瞬間を大切にしていること。
中村先生の言葉の一つひとつから伝わってきたのは、患者様やご家族の声から決して逃げない、誠実な治療家の姿でした。
訪問マッサージを迷っている方、ご家族の方へ
最後に、訪問マッサージを受けるかどうか迷っている方や、そのご家族に向けて、中村先生からメッセージをいただきました。
「私たちが大切にしているのは、ご利用になる方の立場に立って、利用者様の目線で施術させていただくことです。
不安なことや、『もう少しこうしてほしい』というご要望など、どんなことでも構いません。些細なことでもお伝えいただければ、できる限りお応えできるよう心がけています。
気になることがあれば、まずはお気軽にお声がけください。よろしくお願いいたします」
「医療保険は使えるのか」「どのくらいの費用がかかるのか」「そもそも対象になるのか」。最初は分からないことばかりで当然です。まずは下記の連絡先から、気軽に相談してみてください。